原研哉『日本のデザイン』

日本のデザイン : 美意識がつくる未来 (岩波新書) 岩波書店、2011年10月

★感想メモ

  • 未来のデザインとは、その人の生き方に真正面から向き合い、その命のエネルギーの求める心地よさを実現し、求めへの気づきをもたらすもの。それは複雑なものではなく、無駄を捨てることで生まれる空っぽに由来する簡素なもの。そのようにして生まれるデザインが、その人が生きるうえで大切にしていることに通じているものであれば、その美意識は他者にとっての魅力となりうる。ということかなぁ、と思った。
  • エネルギーとのコミュニケーション、目には見えないその営みを、結果として目に見えるものにするのがデザイン、なんていう流れを想像した。

★勝手なメモ

  • 日本の美意識:繊細、丁寧、精緻、簡潔
  • 小ささ、スマート
  • オリジナリティ、ユニーク
  • 生活の思想:ものを介して暮らしや環境の本質を考える
  • 人間の欲望への影響力
  • 仮想と構想とその可視化
  • 日本の簡潔さはシンプルとは根本的に異なる「空っぽ」に由来する
  • 四角と丸、切り取って、嵌める
  • 究極のプレーン、零度の極まり
  • 暮らしのかたち=生活のへそ=無駄なものを捨てること
  • 美意識が観光資源になる
  • 小さな美には敏感だが、巨大な醜さに鈍い
  • 新しい価値、ときめきを見つける
  • 世界から評価されるのではなく、世界で機能する
  • 無数の知の成果を受け入れる巨大なパラボラアンテナのような仕組み
  • 歴史と文化が価値を生み出すソフト資源

猪谷千香『つながる図書館』

つながる図書館 : コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書) 筑摩書房、2014年1月

★一言感想メモ

★勝手な要点まとめ[ページ]

  • 公立図書館の動向
    • 千代田図書館指定管理者制度導入当時の話(柳さん)、鳥取県立図書館(レファレンス事例)、神奈川県立川崎図書館(数値ではない視点から役割の違いを見る、市立と県立の連携・補完関係)など
      • 自治体がコストカットのために管理を民間に丸投げしては、質向上にはつながらない[186]
  • 図書館作り
    • 作ってみる:音環境、世代を超える交流の場の演出、建築、飲食、そもそもの必要性を考えるところから住民と自治体が一緒に勉強するという取り組み方
    • サービスあれこれ:託児所、放課後の児童生徒学生の居場所、コンサート会場、碁会所、観光ツアー、カフェ、おしゃべりの場、コンシェルジュ、夫婦問題や雇用問題などの法律相談、就職、転職、起業、マーケティング、資料や情報だけでなくサポートできる専門家につなぐ
  • つながる
  • ひと作り
    • 設計から市民が携わった伊万里市民図書館の古瀬館長いわく「伊万里のまちをつくる、そのために人を育てる。そのためお図書館(後略)」[136]
    • 島まるごと図書館構想でできた海士町中央図書館の主任の磯谷奈緒子さんいわく「町作りの根本は人作りだろうと。その時に、図書館を軸にした人作りが始まりました」[220]
  • 第五章では、早ければ数年以内には、CCCによるブックカフェ(武雄市図書館型)は珍しいものではなくなる、と書かれている。
    • 勝手にまるめてしまうと、新しいものが新しさを失って当たり前になったときに、それが魅力的であり続けることができるか、ひとびとを惹き付けつづけることができるか、というのはひとえにオリジナルのコンテンツとしての力があるかどうかだよね、ということと読んだ。そしてそれはそのまま選書だよね、と私は思った。ココにしかない、を、どのように築くか。

小林龍生『ユニコード戦記』

ユニコード戦記 : 文字符号の国際標準化バトル 東京電機大学出版局、2011年6月

★一言感想メモ

  • 身の引き締まる思いになって、同時に気持ちが高まった。もっと早くに読んでおくべきだった、と思ったけれど、異体字リスト編集後のいま(読んだのは11月)だからこそ実感を持って頷けるのかもしれない。と考えると、良い時期に読んだかもしれない。
  • まるごと勉強になる本だった。[文字]とは何か、[文字]と<文字>の関係と文字表の意義、ユニコードとJISの歴史、ユーザーと情報通信技術の専門家の対話と課題の解決方法、標準化との向き合い方、国際標準化活動の現場の雰囲気、などなど。
  • 標準化の重要性をここでも再認識。そして、こういう戦いがあったからこそ快適に生活できるのだと感謝。
  • 文字の標準化はユニコードのような国際的な場でやる必要があるのだと納得できた。私たちだけでがんばろうとしてもダメ。ただし、この本に登場するような専門家にはなれないとしても、専門的な知識を持っておく必要はあると思う。でなければ仕事にならない。
  • 自分の仕事に応用できることがいくつもあった。戦略や戦術の必要性については、出張のときにちょうど語ってもらった。この点はまだ抽象的な理解しか持っていないけれど、これから具体的な動き方を見る機会がありそうでわくわくしている。
  • 英語、英語、と思った。まずすぎる。

★抜粋(ページ)、要約[ページ]、→の右側は感想。

  • 偉人(46)
    • 小池建夫さん:歩く漢字コードの字典
    • 佐藤敬幸さん:歩く国際標準化の歴史
  • 仕事での戦い方BY佐藤敬幸さん
    • 「とどめの刺せない反論を紙で出すなんて、敵に塩を送るようなもんだ。傷を負わせたら殺せ。見逃せば自分が殺される。せめて最終局面で、意表を突いて口頭で爆弾発言するぐらいしなきゃ」(46)
    • 「どんなに自分たちの主張が正当なものであっても、適切な戦略や戦術がなければ、国際的な戦いの場では無力に等しい」(47)
    • 「他の国々に原則論を勧めておきながら、日本だけ例外をゴリ押しする身勝手は許されない」実装コストがかかるとしても、それこそが、日本がグローバルな情報化社会で協調的に生き延びていくためのコスト。こうして、JIS X 0213:2000のレパートリーは、まがりなりにもすべてUCSに対応付けられた。[74]
  • 効果的な英語レッスン
    • 用意した英字新聞かウェブの記事のサマリー(キーワードやキーフレーズにマーカー)を自分の言葉で説明、サマリーは添削してもらう(後日の場合も)。先生からの質問に答える。文法や語彙について、公的な場の発言というフォーマルな印象を与える言葉、意味的にはほぼ同じでもポジティブな印象を与える言葉とネガティブな印象を与える言葉といった微妙なニュアンスの違いを教えてもらう。[134-136]
    • アジェンダが同じ!効果的だったなと思っていたけれど、間違っていなかったと思えてなんとなくほっとした。またの機会のためにもメモ。
  • 社会言語学の常識(これを考慮しないと根拠脆弱な主張となってしまう)(163-164)
    • 話される言葉は、組織立った教育なしに母親から獲得することが可能である。まさに、母語母語とよばれるゆえんである。
    • 文字は、何らかの形での教育を経なければ獲得は困難である。文盲の存在が、そのことを如実に物語っている。
    • 古来、文字行政は権力者による支配の手段として用いられてきた長い歴史がある。
    • 言語や文字の使用者集団の境界と近代的国家の境界(国境)は必ずしも一致しない。
  • 文字コードの意義
    • 活字に組まれた形の再現性が必要なのであれば、画像データとして保存再現すれば良い。電子的な翻刻の効用は、一般的な内容の再現に留まらない。それは、検索の利便性が圧倒的に高まる、という一事に尽きる。[100-101]
    • 検索の問題の背後には、情報の交換という、より本質的な問題が存在する。それは「ある符号によって表される文字が、情報を送る側と受け取る側で同じである」という了解ないしは保証が必要だということである。送り手と受け手の意味の共有を支えるのは、ある言語を共有する社会全体の無形の合意である。文字や言葉に関わる規格とは、このような社会的な合意を、健全な蓋然性を伴うような形で、明文化したものと言えよう。コンピュータや通信においては限定された範囲での保証となるが、そこを逸脱する創造的な営為によって社会が変化すれば、規格もまた変化していくことでその存在意義を全うすることができる。[102]
  • 文字と標準化
    • 活版印刷の時代、活字箱に納められていた字母の種類は数千種に限定・正規化されていた。そして著者も編集者も読者も、文選工たちによる手書きから活字への変換を、所与のものとしてごく自然に受け入れていた。[207]
    • 漢字の異体字は、利用局面は書き手によってさまざまな変異があり、その数はゆうに1000を超える。[226]
    • 機械と人間の接面にある問題。それは情報技術と言語文化の狭間の領域である。言語の表記形([文字])とそれに対応する記号の列(<文字>)との対応関係には曖昧性、一意に解決することが不可能なアポリアの介在する余地が存在する。この関係は、言語世界を構成する要素全体と、その指し示す世界を構成する要素全体とが互いに支え合う構造となっているのと同様な困難さを持っている。何らかの視点で強引に[文字]の社会的曖昧さを排除して情報交換用符号化文字集合の符号位置=ビット列を当てたのが<文字>である。文字表の[文字]は参考情報にすぎないが、これこそがビット列である<文字>と[文字]をつなぎ止めるか細い絆なのである。[197-199,215]
    • 人名・地名に用いられる漢字の字形については、情報交換用の符号としての意味とは異なる、何らかの感覚的・情緒的なこだわり、唯一無二性、アイデンティティの確認といった意味があることは、認めなければならない。この唯一無二性の意識と情報交換用符号化文字集合というきわめて実利的な技術標準の折り合いをどうつけるか。[210-211]
  • 次のような原則で、二つの相容れない立場の妥協・合意を形成[204-205]
    • 技術標準を提供する側は、利用者側の立場や感情を尊重し、利用者側が要求する結果を実現するための技術的な手段を提供する(解決策例:音価は等しくても表記形が異なるものについては、その表現に必要なビット列の長短にかかわらず、公的に固有の名前を与える:Unicode Standard Annex #34 Unicode Named Character Sequence)
    • 利用者側は、要求する結果を実現する具体的な方法については技術的意見を差し挟まない(解決策例:ある表記形に対応する内部のビット列の長短や表示のメカニズムには拘泥しない)
  • 標準化活動の流れ
    • Ideographic Variation Sequence(IVS)は、アイディアをUTCに提案してから実用的な普及段階に入るまで12年かかった。[222-235]
    • 2008年末、ユニコードの普及に伴い、UTCでの議論の多くは、実装面での他の規格、たとえばHTMLやXMLを軸とするインターネットの世界、構造化言語の世界とどう整合性をとっていくか、符号化文字だけではなくユニコードを使って言語文化依存要素をシステムに実装していくために必要な情報の収集と公開といった議論に移行。JIS X 0213の制定と改訂に伴いユニコードとの整合性を確保。[235-236]
  • 専門性と相対化
    • 専門性こそが情報通信技術者社会の中で生き延びていくための資産であり、戦うための武器なのだ。(165)
    • しかし自戒を含めて振り返ってみると、何よりも困難なことは、自分の持てる武器装備を相対評価する能力をもつことではなかったか。みずからの戦闘能力を相対化して知ることが戦場で生き延びるための要諦なのだ。たとえ、それが名誉ある撤退につながったとしても。(166)
  • 利用者と技術者
    • 佐藤敬幸さん「だから、大切なことは、自分たちで考えた実装方法をがむしゃらに提案するのではなく、どういうことを実現したいかをていねいに説明することなのです。ぼくはいつでもその橋渡しをやります。ドアはつねに開けておきます」(160)
    • 実ユーザーと情報通信技術の専門家集団との対話がいかに困難かということ。半可通の知識は、要求を明確にするうえでは必ずしも役に立たないこと。最も必要なことは、実ユーザーと専門家集団が真摯に話し合い、相互理解を図ること。(161-162)
    • →利用者部門とシステム部門がもっと話し合うこと、を思った。利用者部門は自分たちがほしいものは何かを良く話し合い、必須の要件をしっかり把握した上でまとめること。システム部門はそれを実現するための技術を把握し、利用者部門の提示する要件を必須のものから実現していくこと。

スティーブン・レヴィ『グーグルネット覇者の真実』

グーグルネット覇者の真実 : 追われる立場から追う立場へ 阪急コミュニケーションズ、2011年12月
★一言感想メモ

  • とても面白かった。Googleはどうしてこんなにもたくさんのサービスを無料で提供してくれるのだろう、どうして企業としてやっていけるのだろう、という疑問が解けた。
  • Googleはとても面白く刺激的で魅力的な企業だと思った。なにより各人の持つ能力をスピーディに実現していけるようにということを、創業者の2人が配慮し続けていることが素晴らしい。大企業になって、エンジニアのアイディアをスピーディに実現することが難しくなってくることはあっても、どこかの時点でそれを見直して、やり直しをすることができるのは、私企業であることと創業者2人の思考方法ゆえかしら、と思った。
  • Googleがとても魅力的だと思う一方で、やっぱり怖さもあるなと感じた。Googleはやっぱり企業であって、GoogleBooksにしても他のサービスにしても、永遠ではないし、公共財として国際的に共有することもおそらく難しいだろう。とすると、Europeanaの対Googleプロジェクトは正しかったのだなと思う。
  • 個人情報と著作権の問題は、結論の出ない難しい問題だなぁ、と思った。Googleの実現してきたことによって、多くの人の行動の仕方が変わったと思う。驚くほど便利な道具も提供してくれている。仕事においてもGoogleなしの世界を考えるのは難しいと言えるくらい、私たちは依存していると思う。けれども、著作権や個人情報の問題は、簡単には答えの出ない課題で、様々な可能性を考慮しながらひとつの絶対的な基準を設けることが、果たして可能なのか、ということを考えなければならなくなる。
  • すべての情報をインターネット上で検索できるということは、素晴らしいことだし、ありがたいこと。だけれども、有益な何かを見つけ、それを情報として整理し、提供するには、時間とお金と思考が必要で、それらに対する報酬のシステムを考えなければ、フリーライダーばかりが蔓延って有益な情報の提供者や文化の生み手は生活すらままならなくなる。
  • 要するにバランスでしょ、と言うのは簡単だけれど、実際に具体的にどうすればいいのか、を考えるととても難しい。著作権法がそもそも、著作者への敬意を持って新しい作品を生み出すことにつながるよう、著作者の利益を守りながら文化が発展していけるようにという目的のために設けられているにもかかわらず、まるで逆に作用しているような状況になってしまっているからといって、それなら法律がなければいいのかと言ったら、やっぱりそんなことはないわけで、「ちょうどよい位置」を見つけることは本当に難しい。
  • 図書館での複写の問題も同じで、半分以下の範囲での複写物のみの提供であれば、すなわち著作権を守れるのかといったらそんなことはないし、逆に、辞書の一項目の全部の複写をしたとしても、すなわち著作権の侵害かといったら、そんなことはない。つまり、画一的なルールを設けることはとても難しい。
  • 善意に基づいて行動すれば、それほど悪いことは起こらないのでは、と思いたくもなるのだけれど、何が「善」であるかの答えは一つではないし、ある側面から見たら「善」であっても、別の側面から見たら「悪」となってしまうことは、どうしても、ある。悪意をもって利用されて大きな被害が起きたら取り返しがつかないという理由で、やっぱり法律は必要なのだろうとは思いながらも、それがただの建前としてしか機能していないように見える部分があるので、法律ですべてが解決できるわけではないという考えも、やっぱり変わらない。

★抜粋(ページ)、要約[ページ]、(…)は中略、→→の右側は感想。

  • 創業者2人(ペイジとブリン)のGoogleのビジョン
    • ペイジとブリンは、Google検索が人間と同じくらい賢くなり、脳の一部になると考えている。最終的には脳内に機器が移植され、質問を考えただけですぐに答えを教えるようになるだろう、と。Googleの頭脳を世界中に分散させ、現地の言葉に対応しながら情報流通に革命を起こす。世界中の知識に瞬時にアクセスできて、Googleが情報を集める脳の外部付属装置として機能し、周囲の状況を察知して自動的に有益な情報を教えたり、ユーザーが質問を思いつくのと同時に答えが戻ってきたりするという未来。たとえば、写真を撮るだけで、その関連キーワード検索したかのような検索結果が出る、とか。内蔵カメラが目、内蔵マイクが耳、タッチパネルが皮膚、GPSが位置認識。人間の行動から次の行動を予測することもでき、ユーザーの検索内容から自殺を考えている可能性があるケースを探知し、各種の情報を提供することで救いの手を差し伸べることもできる。[060,102,103,369,434]
  • Googleの企業文化、信念、戦略
    • 「邪悪になるな」:エンジニアリング部門の人間にとって、自分たちがマイクロソフトのように邪悪な会社にならないことは何よりも重要。Googleではデータがすべてを支配するが、何が邪悪で、何が邪悪でないかという価値判断はデータに優先した。それは、広告と検索結果の間に明確な一線を画すること、ユーザーの個人情報を保護すること、中国政府の威圧的な振る舞いに屈しないことなどにおいても作用した。[219-221]
    • 「世界をより良くする」:ペイジとブリンは、Googleに掲載される広告が「世界をより良くする」という方針に則っているかどうかを気にしていた。調べてみると、各国ごとに様々な基準が認められていることが判明した。最終的には、企業的良心と健康的生活の阻害要因となりそうな広告を掲載する必要性の間でバランスを取る方法を覚えた。[146-147]
    • 別の視点から物事を見ると予想もしない解決策が生まれることがあるから研究をする。[066]
    • ウェブにとって良いことは、Googleにとっても良いことだ。クラウドにとって良いことは、Googleにとっても良いことだ。だとすれば、携帯電話の無線ネットワークの拡大にとって良いことは、Googleにとっても良いことだ(340)
    • 数少ない問題広告を事後処理した方が、官僚的なプロセスを構築するよりはるかに効率的(145)
    • Googleは、透明性の確保を信念としていたが、秘密をもつことが自社の利益になると思えばその理想に固執しなかった(例:莫大な収益を上げていることについての隠ぺい戦略)。また、大企業になったGoogleが他社を買収する際には市場独占の心配はないと説明したが、MicrosoftがYahooを買収しそうになったときには市場独占の可能性を挙げて抗議した。[105-110,159,524-530]
    • オバマの考え方とGoogeの合理的なデータ中心主義は似ていた。オバマは選挙運動にもGoogle的な要素を取り入れるべきだと考えていた。一部のGooglerはオバマ陣営で活躍したが、実際に政治が動き始めるとホワイトハウスには多くの規制があり、Googlerたちは自分たちの能力を思うように活かすことは難しかった。結局、合理性重視の政治手法には批判が耐えず、たとえ事実を示しても人々(国民)を説得できるとはかぎらないということ、理にかなった制作を推進することは難しいということがわかった。[506-519]
  • 検索システム、品質の向上
    • ユーザーは決して間違いを犯さない。システムで間違いを犯すのは決してユーザーの方ではない。[043]
    • アルゴリズムの微調整:Googleで検索すると、ユーザーは自動的に複数のコントロールグループと被験グループに参加していることになる。基本的にすべての検索は何らかのテストにかかわっていると言える。ピカサに保存された数十億もの画像はGoogle機械学習のために利用された。また、検索履歴の他、インターネット上のほぼあらゆる場所でユーザーの行動を把握し、個人情報含むほぼすべての情報を収集して検索サービスの向上につなげていた。[095-096,382,530-532]
    • Google翻訳Googleseti学習システムは1000億のインスタンスを含むデータセットを利用している。データの量を倍にすると、システムの理解度は0.5%ずつ上昇する。インデックスによって何十億もの文書から役に立ちそうな情報だけを容易に抜き出して利用することができる。アルゴリズムは、ウェブサイトの重要性を評価するのと同じ原理で、その翻訳が最も優れているかを割り出す。[099-101]
    • Googleは、創設時からデータを求めており、その思考様式はデータを出発点としてつくり出されていた。ブリンとペイジが最初に取り組んだのはデータマイニングだった。Googleが検索部門だけでなく、広告部門にもプレギボンのような科学者を配置したのはそのためだ。[179]
    • スピードは機能の一部。スピードが上がれば利用頻度も増える。スライドショーが3倍速く動くようにすると、改善策について発表があったわけでもないのに、実施当日の「ピカサ」サイトのトラフィックは40%増加した。スピード改善は重要事項として全社的に取り組むこともあった。その場合は、社内で競争原理が働くようにし、目標のスピードを達成できないチームは、他のより優れたチームに人材やサーバを差し出さなければならなかった。[290-293]
  • 人材
    • Googleは創設当初から徹底的な節約主義だったがエンジニアと優秀な人材確保のためには出費を惜しまなかった。[056,072,196,199,232-233]
    • Googleには、コンピュータ科学者、数学者、物理学者、経済学者、統計学者などがいる。[179]
    • 博士号を取得したコンピュータ科学者たちはGoogleが扱う「難問」に魅力を感じて入社する。[310]
    • ペイジとブリンはマリア・モンテッソーリ(1870年生まれのイタリアの医師)の教育哲学に基づく教育を受けた。それは、子供には自分が興味をもったことを追求する自由を与えるべきだという考え方で、だから彼らは自分で考えた質問への答えを求め、自分で求めたように行動する。[183]
    • 社員への特典以上にGoogleが力を注いでいるのが、理想的な職場環境の実現。社員が学生気分のまま働くことを前提にして築かれている部分が大きい。職場における生産性の阻害要因を取り除くためにたゆまぬ努力を続けている(…)財務状況が苦しい企業でも社員の福利厚生や生産性向上のために出費を惜しむべきではないのかどうか(…)Googleの哲学が本当に試されるのは、同社がいつか苦境に陥ったときだろう。[204,207-209]
    • 採用重視:採用プロセスは伝説になるほどの厳格さで知られている。現時点での社員の平均的な能力を超える人材しか採用しない。その人物に創造性があり、技術的または戦略的な問題についての自分の立場を弁護できるだけのずぶとさを持ち合わせているかどうかを判断する[209-212]
    • Googleの採用基準にはエリート主義的な一面もあった。(212)(が、)「一芸入試」を許可する場合もあった。(214)
    • 経験よりひらめきを重視する(…)まだ未開発のスキルと洞察力をもった素質の高い若者を採用し、大きな責任を伴う仕事を任せる。(247)
    • 1998年9月創設、厳選採用→1999年10人程度から40人へ→無我夢中で雇えるだけ雇う→大企業化→2008年採用数減少→刺激を求めた有能な人材が流出&大量リストラ→個々の社員のキャリア開発&人事分析による幸福維持→2009年10月採用活動再開、企業買収加速[058,061,149,202,415-418,426-427]
  • インフラ構築
    • データセンター:拡張性を考慮した設計でリモート管理が可能。5万台のコンピュータでも6人ほどですべてが管理可能。どこかひとつのデータセンターが完全に機能停止に陥っても、すべては別の場所にあるデータセンターに引き継がれ、それでもまだ余剰キャパシティがある。あらかじめ高い故障率を前提としたシステムを設計しており、1台のサーバーが2、3ミリ秒たっても検索リクエストに答えられない状態が発生すれば、すぐにほかの2台のサーバーが取って代わり、要求された情報を探してきてくれる。GFS(Google File System)により、大量のマシンにデータを分散して保存することでサーバーの故障からシステムを守る。[288,305-307]
    • 倉庫規模のコンピュータには、1台のラックに80台のサーバーが収納され、30台ほどのラックがひとつのクラスターを構成するというサーバーの階層構造がる。部品が頻繁に故障することについても寛容で、Google自体が1台のコンピュータのように機能する(バロッソとヘルツルの共著『Googleクラウドの核心』)[310-311]
    • 完成度の高いソフトウェアや革新的な省エネ技術を開発し、しかも自社の光ファイバー網を保有することで、Googleは競合他社のわずか3分の1のコストでデータベースを運営できるようになっていた(311)
  • マシン開発
    • Googleは世界で最も多くのコンピュータサーバーを製造している企業(555)
    • GoogleBooksのスキャナは既存のものより正確でいくらか速く作業できるよう開発したもの[555]
  • Googleへの危惧や批判と、それらへの対応
    • 「監視社会の問題だけでなく、それ以上に大きなリスクをはらんでいる」「こうしたリスクはテクノオタクだけに任せず、社会全体で対処すべきだ」「私は彼らを信用できない。彼らは偏狭で、ものを知らない。歴史の知識が不足しているし、社会の仕組みをよくわかっていない。このまま放置すれば大きな災厄を招くことになる」(エール大学のコンピュータ科学者デビッド・ガランター『ミラーワールドコンピュータ社会の情報景観』(1991年)。しかし、Googleの巨大なインデックスにはウェブ上で公的に入手可能なすべてのページを含め、ありとあらゆる情報が保存されており、そこに存在しない情報は実質的に存在していないも同然だった。[093]
    • 1990年代の終わりまでに、知的所有権名誉毀損、プライバシーの侵害、そしてコンテンツ規制といった法律問題が降り掛かった。[274]
    • YouTube初期)創設者は、投稿されたコンテンツが著作権を侵害(違法アップ)だと認識していたが、オプトアウト(クレームがあったら対応)の方式にしていた。GoogleYouTubeを買収したが、著作権侵害が「邪悪」な行為ではないのかという懸念を持っており、海賊版コンテンツが投稿されないよう心を砕いた。[389-391]
    • Gメールとプライバシー:エンジニアたちは、メールの永久保存が個人情報保護への懸念を招くことに納得がいかなかった。彼らは機械を信用していたし、彼ら自身の動機も純粋なのだからユーザーは彼らをもっと信頼すべきだと考えていた。[267]
    • Google検索が優秀すぎるために想定できる最悪の事態は、その検索結果から、誰かが身体的な危険にさらされることだった。たとえば、暴力的な元配偶者から個人情報を隠す為に散々苦労したにもかかわらず、相手がGoogleで検索したら0.4秒ですべてが水の泡になってしまうような場合だ。[270]
    • GoogleのCEO自身がプライバシーの問題と折り合いをつけられずにいるというのに(Googleの検索で自分の個人情報を検索して記者が記事にしたことに激怒し、1年間その記者の所属会社を出入り禁止にした)、一般市民に納得しろというのがそもそも無理な話ではないだろうか。(272-273)
    • データ分析の結果にそのまま従うと人道上の重要な価値が犠牲になることがあった。例えば、反ユダヤ主義のウェブサイト、ホロコースト否定派のウェブサイト、裁判所が企業秘密として保護対象になると判断した内部文書を暴露したウェブサイトなどを、検索結果の上位に表示させてしまうといったこと。[439-441]
    • ハリウッドや音楽業界におけるライセンス契約に著作権、使用許諾、請求などは複雑すぎた。例えばホームビデオを撮っている場所でたまたま音楽が流れていたり、ラジオから誰かの歌声が流れていたりするだけで、その動画全体が著作権侵害になってしまう。[420]
    • 中国問題:国が違えば、直面する問題も違う。中国進出の困難は、商慣習や贈物といった文化の違いの他、検索の透明性や公平性、公正性や個人情報保護、情報の公開性(自然災害に関する情報も含めて)に関する基本的な考え方の違いにあった。Googleは政府からの検閲にはだいたい抵抗してきた。しかし、中国政府が関与したと思われる方法でセキュリティが破られて知的財産が盗まれ、中国の反体制活動家のGメールアカウントの情報が流出、結局撤退を発表。根底には検閲問題があったが(2002年9月3日に中国政府がGoogleへのアクセスを遮断)、引き金を引いたのはサイバー攻撃だった。中国に質の高いサービスを提供できるという良い面がある一方、中国政府の検閲に従って検索結果を恣意的に変更しなければならず、しかも中国政府は禁止事項リストを示さないのでGoogleが自主的に判断するしかなかった。検閲は百度等の他の検索システムが排除するキーワードをアルゴリズムで調査することで対応した。これは、中国の圧政に加担する行為でありワースト・プラクティスに学ぶやり方だとして、Googleは米国議会から糾弾された。百度Googleや米国議会とは違って、検閲や個人情報の政府への提出を道徳に反することとは思っておらず、検索結果の鮮度のよさ(最新の減少を検索上位にする)と消費者のナショナリズムに訴えるCMで中国国民の心をつかんでいた。結局、中国での検閲を続けるべきか否かを検討した結果、検閲を続けないことにし、Googleは5年で中国を撤退することになったため、中国政府はウェブはおおむね統制可能である(圧政はウェブに勝てる)という結論を得ることになった。[428-432,436,445,447-448,453-457,464,466-469,477-484,490-492,494-498]
    • Googleの扱うデータには重要情報が非常に多く、攻撃を受ければ使い物にならなくなるサーバーが何十万台もあるにもかかわらず、その企業は銃を持った囚人が刑務所を運営しているようなものだった。しかし、セキュリティの大切さは承知していても、社員を疑うという発想を受け入れることはできなかった。[428-432]
    • ペイジとブリンはユーザーの希望に添うサービスをつくることに情熱を燃やしていた。ユーザーがプライバシーに関して望んでいることと、プライバシー擁護活動家が主張していることとの間にズレがあるとも感じていた。実際、どのサービスが標的になるかはまったくの偶然で決まり、事前に予測することは不可能だった。[535-539]
    • GoogleBooks:人類の重要な財産であり知的価値の高い書籍を、インターネット上ですべて検索できるようになったらどんなに素晴らしいことか、と考えたことがプロジェクトの始まりだった。図書館から借りた本をスキャンするのは法律で認められているフェアユース(公正使用)の範囲内だとGoogleは確信していたが、法律の文言を厳格に解釈するとそうとは言い切れず(大半の法律家は著作権の侵害に当たると考えた)、議会図書館、大学図書館はいずれも大半が著作権上の問題がないという確信をもてなかったため、積極的には動かず最低限の範囲でのみ(著作権切れを確認できたもののみ)資料を提供した。しかし、出版社と著者たちは、弱者である自分たちを大企業であるGoogleが搾取しようとしているのだと訴え、裁判を起こした。和解案として、Googleは書籍をデジタル化し、インターネット上で本の一節を無料で公開できるだけでなく、絶版書籍のデジタル版を販売する独占権を手にするというものが出され、一部にはGoogleのプロジェクトには意義があると考える人もいたが、InternetArchiveのブリュースター・ケール氏は、この和解案によってGoogleは情報の独占主義者と化し、書籍へのアクセスを容易にするための活動を押しつぶそうとしていると非難した。Googleにしてみれば、Googleは完全に善意で行動しているのだし、和解案に反対している企業は絶版本のためになにひとつしていないし、Googleがこのように強烈な怒りを向けられるというのはプロジェクトの意義が正当に認識されていないためであり、これは全人類に損失をもたらす悲喜劇と呼ぶ他内ものだった。裁判所は、たとえ善意に基づく行動だとしても和解案は反トラスト法に違反していると結論づけた。なお、高品質な画像をスキャンすることは難しく、ロボット工学の現状では、機械が本を破らずにページを繰ることは不可能だとわかったため、人海戦術に出た(Googleらしくはないが)。提供しているものには指が映り込んでいるものやページを繰っている途中の画像等が含まれている)。[556-582]
  • 組織経営、収益構造
    • Googleは創設当初から徹底的な節約主義だった。だから故障前提のシステム設計が生まれた。エンジニアと優秀な人材確保以外のための出費は極度に嫌がった。コスト削減の必要がまったくない時でも、社員を無駄遣い探しに参加させて、結果をウェブ上に設けたツールを通じて報告させた。不要な人材についてはスパムの削除と同じくらい機械的かつ迅速に手続きが行われた。[056,072,196,199,232-233,411-413]
    • Googleという会社の経営は、大方、ペイジとブリンの即興。数学的ジョークが大好きなので、製品レビュー会議ではプロダクトチーム側が数字に関わるおもちゃをエサにして意識を反らすこともあった。[362-373]
    • Googleの収益は、自社の製品やサービスそのものではなく、それを利用するユーザーが見る広告によるもの。ユーザーがオンラインサービスを快適に使えるようにする(不愉快な障害を取り除く)ことで、ユーザーはGoogleの製品を使うと考えている。[364-368]
    • 広告商品は、Googleの大胆な新機軸が失敗しても大怪我をしないように保証する安全ネットとなったため、長期的な価値の創造のためには短期的収益を無視することもあった。[181,224]
    • Googleは、スピード、スケージュ、機会費用の最少化という基本原則に則って、膨大なトラフィックを見込めるコンテンツを持つサービスを、Googleの巨大インフラでサポートするプラットフォームから配信する。その好機を競合他社に取られないよう、買収の価値があるという証明の準備を進める。そのサービスの目標が、ユーザー体験の民主化であれば、それはGoogleの思想と共鳴する。[395-398]
    • 透明性の確保はとても大切なこと。四半期ごとに何を達成したいか1ページか2ページで表現できる内容でみんなに伝える。[253]
    • 大規模で体系的なサービスを再現可能な手法で提供できるようにするため、各種会議や運営委員会、全社員を対象にしたピアレビューといった社内の官僚機構の構築に多大な労力を費やした。(254)
    • 労働集約型プロセスは、Googleらしいスケーラビリティ(拡張性)の考えと相容れないものだった。(145)
    • ペイジとブリンは、企業はインターネットのように管理されるべきだと考えており、水玉模様に覆われた巨大なシーツのような形の組織図をイメージしていた。水玉は小さなチームで、平らな組織の構築を可能で、組織が大きくなっても構造自体が変化する必要はないはずだった。しかし、それは実現不可能であることが、早い段階から明らかになり、マネジャー(管理職)の必要性も見えていた。それでも、社内で高く評価されるのはあくまでもエンジニアであり、2人はプロダクトマネジャーになれるエンジニアを探した。プロダクトマネジャーは、数字(データ、情報)によってのみ、エンジニアと同じ土俵に立つことができた。YouTube買収時には、Googleは新しいサービスや製品の承認のためには莫大な時間を費やしてプレゼン資料を作る必要があったが、YouTubeは真逆で、自分が正しいと感じたことをやるだけでよかった。これが、上場企業と新興企業の違いだった。そこでYouTubeのエンジニアチームの統合はせず(トップダウン的なアプローチに組み込まず)、Googleの専門知識や資源を提供することにした。著作権侵害についてはGoogleの弁護士チームが対応し、コンテンツのオーナーが違法動画を速やかに削除できるシステムも開発した。こうしてGoogleYouTubeは大成功した。[242-248,400-403]
    • APMプログラムはエンジニアリングを重視しつつ、チームアプローチを維持するという一挙両得を可能にした。(…)Googleは、その雇用方針や経営手法によって、「オーガニゼーション・マン」とは対局にある「考える自由をもつ組織人」をつくり出したと言えるかもしれない。(249)
    • (株式公開後のこと)Google統計学者ボー・カウギルは、「予測市場」に基づいて社員の行動を調査した結果、「毎日の株価の動きが社員の気分、努力レベル、および意思決定に影響する」、つまり富むことで保守化することを発見した。[239]
    • 70・20・10:70%は検索か広告のどちらかの部門に、20%はアプリケーションのような重要な製品の開発に、そして残りの10%はそれ以外の何でもありのプロジェクトに配属された。(250)
    • 目標によるマネジエント:物事の優先順位を明確にすることができる。自分が何をやりたいかではなくて、作業をセグメント化し、どんな結果をいつまでに出せるか、時期を決めて定量化するという手法。Googleでは、OKRを達成できないことより、安全策を取って目標を大幅に上回る成果を上げることの方が悪いとされた。チャレンジ精神に欠け、能力以下の仕事しかしようとしない社員はGoogleには不要だからだ。[251-252]→→実際には、組織に集まる人間とトップの人間の性質によって、OKR法は機能しないことが大いにあり得るだろう。創業者たちが非常に強く、その意思決定も社内において強い力を持っていて、社内の決まりごとも柔軟に変更することが可能で、人を切ることも自由にできる企業の強みだろう。

西江雅之『「ことば」の課外授業』

「ことば」の課外授業 : "ハダシの学者"の言語学1週間 洋泉社、2003年4月
★一言感想メモと抜粋

  • 想起:大学で一年間、西江先生の講義を受けた。試験があったかレポートだったか何もなかったのかも思い出せないし、たぶんノートもほとんど取らなかったと思う。流れつづける先生の話は、いつもなんだか物語のようにすこしの遠さがあって、それでも興味を惹かれて毎回出席してしまうという不思議な授業だった。私の感じたすこしの遠さは、おそらく知らない世界の新しい読み方を提示されていて、そのことをうまくつかめなかったからかもしれないと、この本を読んで思った。
  • 対話:私は言葉によりかかりすぎることがある。言葉にこだわりすぎることもある。そんなときは後から、なぜあんなに頑に言葉にこだわったのだろうと恥ずかしくなる。そうでありながら、言葉によらない対話を、飢えているかのように求めることもある。言葉でなにが伝えられようかと強く思うこともある。言葉を介さない対話に敏感になりすぎることもある。口元、指の動き、まぶたのふるえ、視線の動き、頬の緊張、背中のこわばり、息を吸い込むスピードとのどの動き。言葉によりかかりすぎるのとはまるで反対くらいに言葉を置き去りにして、神経を開いて対話することがある。こうして言葉にすると、ずいぶんな極端さに、やっぱり恥ずかしくなる。
    • ことば以外に、人物特徴(身体や性格面)、体の動き(顔の表情の変化や視線の動きを含む)、場の問題(人物がいる周辺環境として)、生理的反応(接触や顔色の変化など)、空間と時間(お互いの距離や当人たちが占めているスペース、そのときの時刻、伝え合いの内容を表現するためにかかる時間など)、人物の社会的背景(社会生活上での地位や立場など)の要素が互いに溶け合って伝え合いを行っている。(pp.122-146)
    • 「人間だけがちぐはぐ」「やや分裂気味」(pp.158-159)(口で言っている意思と、態度や動きや表情から漏れてしまう意思とが矛盾している、といった事例を挙げて)
  • 理解と恐れ:分けること、分けようとしても分けられないことや分けにくいこと、その分けられなさは不安を呼ぶ、ということは、別の人も別の本で同じような意味で触れていた。世界はほんとうは分けられないことに満ちているのに。分けられなさを受け入れられない人が増えて、分けられるものだけを許す人ばかりの世界になると、あるいは分けられることを当たり前で正しいものとするような線引きばかりが受け入れられる世界になってしまうと、ほんとうに分けようのない大きな不明に遭遇したときにきっと簡単にパニックが起きる。分からないものを排除しないこと、分からないものを無理矢理に分かるかたちに入れ込んでしまわないこと。
    • 人々が日常的に行っていることには、自然科学の場合とは違って、そういう文化的な分け方の問題が常に付きまとってくるんです。(p.173)
    • 境界領域にある事物というのは、どの社会でも、気にしはじめると強い意味を持つということ(p.176)
    • タブーは、日常的に身近だからタブーになっているんです。(p.177)(髪は頭から離れたとき(抜けたとき、切り取られたとき)にタブー視される。)
    • 正しい答えは、基準の置き方一つで、何通りも出てきます。ですから本当は、なぜ「牛とクジラはいっしょで、イワシだけが違う」という答えしか今の世の中では認められないのか、いっそこちらを問題にした方がいいんです。わたしなら、「こういう根拠で分けたらこうなる、という例を五つ挙げよ」という問題にします。その方が、よっぽど科学の勉強になるはずですからね。つまり、「分ける」というときには必ず、何らかの基準があるんです。現在の学校は一つの基準しか認めず、それ以外のものは間違いだというレッテルを貼ってしまうのです。(pp.180-181)
  • 外国語教育:国際社会で勝てる人材を育成するには低学年から英会話を導入すればいい!…ということを言うひとには、この本の第7講だけでもいいから読んで考えろと言いたい。低学年からの英会話導入が悪いという意味ではなく。英語で話す、その相手は、人間なのだということ。相手には相手の育った文化があり、私たちはその違いに出会い、その違いを認め、そのうえで理解し合おうとするのだということ。その異なる文化や文脈やものの見方や考え方や世界との付き合い方は、相手の育った言葉の中にあらわれているのだということ。私たちは言葉だけではない多くの要素で自分や相手を感じ取っているのだということ。これらを感受し自分の中で咀嚼しようとする姿勢や向き合いの気持ちを育むことをおろそかにしたら、対話のできる人間は育たないだろう。
    • 話題の中のもう一つ奥の人間を指す人称というのもあるんです。(pp.194-196)
    • その人自身が日常的に、たとえば五千単語以下しか使っていないとしたら、外国語を学習しても、それぐらいの数までしかいかない。外国語だけ急に一万語ということはありえないことなんです。(p.202)
    • たとえば小説を読んでいて、「銀座の女」とか、「浅草の女」、「新宿の女」とあっただけでも、日本文化や日本のことをよく知っている人には、この三つの地名が持つニュアンスの違いは、単にどこかの地域に住んでいる女というのではないことを簡単にイメージさせます。しかし、国際語の場合には、従来ならば言語に分かちがたく付随していた土地の文化はその言語から離れ、その場で使われた言語の方が新たな文化を創り出すという時代に向かっているんです。(p.208)