スティーブン・レヴィ『グーグルネット覇者の真実』

グーグルネット覇者の真実 : 追われる立場から追う立場へ 阪急コミュニケーションズ、2011年12月
★一言感想メモ

  • とても面白かった。Googleはどうしてこんなにもたくさんのサービスを無料で提供してくれるのだろう、どうして企業としてやっていけるのだろう、という疑問が解けた。
  • Googleはとても面白く刺激的で魅力的な企業だと思った。なにより各人の持つ能力をスピーディに実現していけるようにということを、創業者の2人が配慮し続けていることが素晴らしい。大企業になって、エンジニアのアイディアをスピーディに実現することが難しくなってくることはあっても、どこかの時点でそれを見直して、やり直しをすることができるのは、私企業であることと創業者2人の思考方法ゆえかしら、と思った。
  • Googleがとても魅力的だと思う一方で、やっぱり怖さもあるなと感じた。Googleはやっぱり企業であって、GoogleBooksにしても他のサービスにしても、永遠ではないし、公共財として国際的に共有することもおそらく難しいだろう。とすると、Europeanaの対Googleプロジェクトは正しかったのだなと思う。
  • 個人情報と著作権の問題は、結論の出ない難しい問題だなぁ、と思った。Googleの実現してきたことによって、多くの人の行動の仕方が変わったと思う。驚くほど便利な道具も提供してくれている。仕事においてもGoogleなしの世界を考えるのは難しいと言えるくらい、私たちは依存していると思う。けれども、著作権や個人情報の問題は、簡単には答えの出ない課題で、様々な可能性を考慮しながらひとつの絶対的な基準を設けることが、果たして可能なのか、ということを考えなければならなくなる。
  • すべての情報をインターネット上で検索できるということは、素晴らしいことだし、ありがたいこと。だけれども、有益な何かを見つけ、それを情報として整理し、提供するには、時間とお金と思考が必要で、それらに対する報酬のシステムを考えなければ、フリーライダーばかりが蔓延って有益な情報の提供者や文化の生み手は生活すらままならなくなる。
  • 要するにバランスでしょ、と言うのは簡単だけれど、実際に具体的にどうすればいいのか、を考えるととても難しい。著作権法がそもそも、著作者への敬意を持って新しい作品を生み出すことにつながるよう、著作者の利益を守りながら文化が発展していけるようにという目的のために設けられているにもかかわらず、まるで逆に作用しているような状況になってしまっているからといって、それなら法律がなければいいのかと言ったら、やっぱりそんなことはないわけで、「ちょうどよい位置」を見つけることは本当に難しい。
  • 図書館での複写の問題も同じで、半分以下の範囲での複写物のみの提供であれば、すなわち著作権を守れるのかといったらそんなことはないし、逆に、辞書の一項目の全部の複写をしたとしても、すなわち著作権の侵害かといったら、そんなことはない。つまり、画一的なルールを設けることはとても難しい。
  • 善意に基づいて行動すれば、それほど悪いことは起こらないのでは、と思いたくもなるのだけれど、何が「善」であるかの答えは一つではないし、ある側面から見たら「善」であっても、別の側面から見たら「悪」となってしまうことは、どうしても、ある。悪意をもって利用されて大きな被害が起きたら取り返しがつかないという理由で、やっぱり法律は必要なのだろうとは思いながらも、それがただの建前としてしか機能していないように見える部分があるので、法律ですべてが解決できるわけではないという考えも、やっぱり変わらない。

★抜粋(ページ)、要約[ページ]、(…)は中略、→→の右側は感想。

  • 創業者2人(ペイジとブリン)のGoogleのビジョン
    • ペイジとブリンは、Google検索が人間と同じくらい賢くなり、脳の一部になると考えている。最終的には脳内に機器が移植され、質問を考えただけですぐに答えを教えるようになるだろう、と。Googleの頭脳を世界中に分散させ、現地の言葉に対応しながら情報流通に革命を起こす。世界中の知識に瞬時にアクセスできて、Googleが情報を集める脳の外部付属装置として機能し、周囲の状況を察知して自動的に有益な情報を教えたり、ユーザーが質問を思いつくのと同時に答えが戻ってきたりするという未来。たとえば、写真を撮るだけで、その関連キーワード検索したかのような検索結果が出る、とか。内蔵カメラが目、内蔵マイクが耳、タッチパネルが皮膚、GPSが位置認識。人間の行動から次の行動を予測することもでき、ユーザーの検索内容から自殺を考えている可能性があるケースを探知し、各種の情報を提供することで救いの手を差し伸べることもできる。[060,102,103,369,434]
  • Googleの企業文化、信念、戦略
    • 「邪悪になるな」:エンジニアリング部門の人間にとって、自分たちがマイクロソフトのように邪悪な会社にならないことは何よりも重要。Googleではデータがすべてを支配するが、何が邪悪で、何が邪悪でないかという価値判断はデータに優先した。それは、広告と検索結果の間に明確な一線を画すること、ユーザーの個人情報を保護すること、中国政府の威圧的な振る舞いに屈しないことなどにおいても作用した。[219-221]
    • 「世界をより良くする」:ペイジとブリンは、Googleに掲載される広告が「世界をより良くする」という方針に則っているかどうかを気にしていた。調べてみると、各国ごとに様々な基準が認められていることが判明した。最終的には、企業的良心と健康的生活の阻害要因となりそうな広告を掲載する必要性の間でバランスを取る方法を覚えた。[146-147]
    • 別の視点から物事を見ると予想もしない解決策が生まれることがあるから研究をする。[066]
    • ウェブにとって良いことは、Googleにとっても良いことだ。クラウドにとって良いことは、Googleにとっても良いことだ。だとすれば、携帯電話の無線ネットワークの拡大にとって良いことは、Googleにとっても良いことだ(340)
    • 数少ない問題広告を事後処理した方が、官僚的なプロセスを構築するよりはるかに効率的(145)
    • Googleは、透明性の確保を信念としていたが、秘密をもつことが自社の利益になると思えばその理想に固執しなかった(例:莫大な収益を上げていることについての隠ぺい戦略)。また、大企業になったGoogleが他社を買収する際には市場独占の心配はないと説明したが、MicrosoftがYahooを買収しそうになったときには市場独占の可能性を挙げて抗議した。[105-110,159,524-530]
    • オバマの考え方とGoogeの合理的なデータ中心主義は似ていた。オバマは選挙運動にもGoogle的な要素を取り入れるべきだと考えていた。一部のGooglerはオバマ陣営で活躍したが、実際に政治が動き始めるとホワイトハウスには多くの規制があり、Googlerたちは自分たちの能力を思うように活かすことは難しかった。結局、合理性重視の政治手法には批判が耐えず、たとえ事実を示しても人々(国民)を説得できるとはかぎらないということ、理にかなった制作を推進することは難しいということがわかった。[506-519]
  • 検索システム、品質の向上
    • ユーザーは決して間違いを犯さない。システムで間違いを犯すのは決してユーザーの方ではない。[043]
    • アルゴリズムの微調整:Googleで検索すると、ユーザーは自動的に複数のコントロールグループと被験グループに参加していることになる。基本的にすべての検索は何らかのテストにかかわっていると言える。ピカサに保存された数十億もの画像はGoogle機械学習のために利用された。また、検索履歴の他、インターネット上のほぼあらゆる場所でユーザーの行動を把握し、個人情報含むほぼすべての情報を収集して検索サービスの向上につなげていた。[095-096,382,530-532]
    • Google翻訳Googleseti学習システムは1000億のインスタンスを含むデータセットを利用している。データの量を倍にすると、システムの理解度は0.5%ずつ上昇する。インデックスによって何十億もの文書から役に立ちそうな情報だけを容易に抜き出して利用することができる。アルゴリズムは、ウェブサイトの重要性を評価するのと同じ原理で、その翻訳が最も優れているかを割り出す。[099-101]
    • Googleは、創設時からデータを求めており、その思考様式はデータを出発点としてつくり出されていた。ブリンとペイジが最初に取り組んだのはデータマイニングだった。Googleが検索部門だけでなく、広告部門にもプレギボンのような科学者を配置したのはそのためだ。[179]
    • スピードは機能の一部。スピードが上がれば利用頻度も増える。スライドショーが3倍速く動くようにすると、改善策について発表があったわけでもないのに、実施当日の「ピカサ」サイトのトラフィックは40%増加した。スピード改善は重要事項として全社的に取り組むこともあった。その場合は、社内で競争原理が働くようにし、目標のスピードを達成できないチームは、他のより優れたチームに人材やサーバを差し出さなければならなかった。[290-293]
  • 人材
    • Googleは創設当初から徹底的な節約主義だったがエンジニアと優秀な人材確保のためには出費を惜しまなかった。[056,072,196,199,232-233]
    • Googleには、コンピュータ科学者、数学者、物理学者、経済学者、統計学者などがいる。[179]
    • 博士号を取得したコンピュータ科学者たちはGoogleが扱う「難問」に魅力を感じて入社する。[310]
    • ペイジとブリンはマリア・モンテッソーリ(1870年生まれのイタリアの医師)の教育哲学に基づく教育を受けた。それは、子供には自分が興味をもったことを追求する自由を与えるべきだという考え方で、だから彼らは自分で考えた質問への答えを求め、自分で求めたように行動する。[183]
    • 社員への特典以上にGoogleが力を注いでいるのが、理想的な職場環境の実現。社員が学生気分のまま働くことを前提にして築かれている部分が大きい。職場における生産性の阻害要因を取り除くためにたゆまぬ努力を続けている(…)財務状況が苦しい企業でも社員の福利厚生や生産性向上のために出費を惜しむべきではないのかどうか(…)Googleの哲学が本当に試されるのは、同社がいつか苦境に陥ったときだろう。[204,207-209]
    • 採用重視:採用プロセスは伝説になるほどの厳格さで知られている。現時点での社員の平均的な能力を超える人材しか採用しない。その人物に創造性があり、技術的または戦略的な問題についての自分の立場を弁護できるだけのずぶとさを持ち合わせているかどうかを判断する[209-212]
    • Googleの採用基準にはエリート主義的な一面もあった。(212)(が、)「一芸入試」を許可する場合もあった。(214)
    • 経験よりひらめきを重視する(…)まだ未開発のスキルと洞察力をもった素質の高い若者を採用し、大きな責任を伴う仕事を任せる。(247)
    • 1998年9月創設、厳選採用→1999年10人程度から40人へ→無我夢中で雇えるだけ雇う→大企業化→2008年採用数減少→刺激を求めた有能な人材が流出&大量リストラ→個々の社員のキャリア開発&人事分析による幸福維持→2009年10月採用活動再開、企業買収加速[058,061,149,202,415-418,426-427]
  • インフラ構築
    • データセンター:拡張性を考慮した設計でリモート管理が可能。5万台のコンピュータでも6人ほどですべてが管理可能。どこかひとつのデータセンターが完全に機能停止に陥っても、すべては別の場所にあるデータセンターに引き継がれ、それでもまだ余剰キャパシティがある。あらかじめ高い故障率を前提としたシステムを設計しており、1台のサーバーが2、3ミリ秒たっても検索リクエストに答えられない状態が発生すれば、すぐにほかの2台のサーバーが取って代わり、要求された情報を探してきてくれる。GFS(Google File System)により、大量のマシンにデータを分散して保存することでサーバーの故障からシステムを守る。[288,305-307]
    • 倉庫規模のコンピュータには、1台のラックに80台のサーバーが収納され、30台ほどのラックがひとつのクラスターを構成するというサーバーの階層構造がる。部品が頻繁に故障することについても寛容で、Google自体が1台のコンピュータのように機能する(バロッソとヘルツルの共著『Googleクラウドの核心』)[310-311]
    • 完成度の高いソフトウェアや革新的な省エネ技術を開発し、しかも自社の光ファイバー網を保有することで、Googleは競合他社のわずか3分の1のコストでデータベースを運営できるようになっていた(311)
  • マシン開発
    • Googleは世界で最も多くのコンピュータサーバーを製造している企業(555)
    • GoogleBooksのスキャナは既存のものより正確でいくらか速く作業できるよう開発したもの[555]
  • Googleへの危惧や批判と、それらへの対応
    • 「監視社会の問題だけでなく、それ以上に大きなリスクをはらんでいる」「こうしたリスクはテクノオタクだけに任せず、社会全体で対処すべきだ」「私は彼らを信用できない。彼らは偏狭で、ものを知らない。歴史の知識が不足しているし、社会の仕組みをよくわかっていない。このまま放置すれば大きな災厄を招くことになる」(エール大学のコンピュータ科学者デビッド・ガランター『ミラーワールドコンピュータ社会の情報景観』(1991年)。しかし、Googleの巨大なインデックスにはウェブ上で公的に入手可能なすべてのページを含め、ありとあらゆる情報が保存されており、そこに存在しない情報は実質的に存在していないも同然だった。[093]
    • 1990年代の終わりまでに、知的所有権名誉毀損、プライバシーの侵害、そしてコンテンツ規制といった法律問題が降り掛かった。[274]
    • YouTube初期)創設者は、投稿されたコンテンツが著作権を侵害(違法アップ)だと認識していたが、オプトアウト(クレームがあったら対応)の方式にしていた。GoogleYouTubeを買収したが、著作権侵害が「邪悪」な行為ではないのかという懸念を持っており、海賊版コンテンツが投稿されないよう心を砕いた。[389-391]
    • Gメールとプライバシー:エンジニアたちは、メールの永久保存が個人情報保護への懸念を招くことに納得がいかなかった。彼らは機械を信用していたし、彼ら自身の動機も純粋なのだからユーザーは彼らをもっと信頼すべきだと考えていた。[267]
    • Google検索が優秀すぎるために想定できる最悪の事態は、その検索結果から、誰かが身体的な危険にさらされることだった。たとえば、暴力的な元配偶者から個人情報を隠す為に散々苦労したにもかかわらず、相手がGoogleで検索したら0.4秒ですべてが水の泡になってしまうような場合だ。[270]
    • GoogleのCEO自身がプライバシーの問題と折り合いをつけられずにいるというのに(Googleの検索で自分の個人情報を検索して記者が記事にしたことに激怒し、1年間その記者の所属会社を出入り禁止にした)、一般市民に納得しろというのがそもそも無理な話ではないだろうか。(272-273)
    • データ分析の結果にそのまま従うと人道上の重要な価値が犠牲になることがあった。例えば、反ユダヤ主義のウェブサイト、ホロコースト否定派のウェブサイト、裁判所が企業秘密として保護対象になると判断した内部文書を暴露したウェブサイトなどを、検索結果の上位に表示させてしまうといったこと。[439-441]
    • ハリウッドや音楽業界におけるライセンス契約に著作権、使用許諾、請求などは複雑すぎた。例えばホームビデオを撮っている場所でたまたま音楽が流れていたり、ラジオから誰かの歌声が流れていたりするだけで、その動画全体が著作権侵害になってしまう。[420]
    • 中国問題:国が違えば、直面する問題も違う。中国進出の困難は、商慣習や贈物といった文化の違いの他、検索の透明性や公平性、公正性や個人情報保護、情報の公開性(自然災害に関する情報も含めて)に関する基本的な考え方の違いにあった。Googleは政府からの検閲にはだいたい抵抗してきた。しかし、中国政府が関与したと思われる方法でセキュリティが破られて知的財産が盗まれ、中国の反体制活動家のGメールアカウントの情報が流出、結局撤退を発表。根底には検閲問題があったが(2002年9月3日に中国政府がGoogleへのアクセスを遮断)、引き金を引いたのはサイバー攻撃だった。中国に質の高いサービスを提供できるという良い面がある一方、中国政府の検閲に従って検索結果を恣意的に変更しなければならず、しかも中国政府は禁止事項リストを示さないのでGoogleが自主的に判断するしかなかった。検閲は百度等の他の検索システムが排除するキーワードをアルゴリズムで調査することで対応した。これは、中国の圧政に加担する行為でありワースト・プラクティスに学ぶやり方だとして、Googleは米国議会から糾弾された。百度Googleや米国議会とは違って、検閲や個人情報の政府への提出を道徳に反することとは思っておらず、検索結果の鮮度のよさ(最新の減少を検索上位にする)と消費者のナショナリズムに訴えるCMで中国国民の心をつかんでいた。結局、中国での検閲を続けるべきか否かを検討した結果、検閲を続けないことにし、Googleは5年で中国を撤退することになったため、中国政府はウェブはおおむね統制可能である(圧政はウェブに勝てる)という結論を得ることになった。[428-432,436,445,447-448,453-457,464,466-469,477-484,490-492,494-498]
    • Googleの扱うデータには重要情報が非常に多く、攻撃を受ければ使い物にならなくなるサーバーが何十万台もあるにもかかわらず、その企業は銃を持った囚人が刑務所を運営しているようなものだった。しかし、セキュリティの大切さは承知していても、社員を疑うという発想を受け入れることはできなかった。[428-432]
    • ペイジとブリンはユーザーの希望に添うサービスをつくることに情熱を燃やしていた。ユーザーがプライバシーに関して望んでいることと、プライバシー擁護活動家が主張していることとの間にズレがあるとも感じていた。実際、どのサービスが標的になるかはまったくの偶然で決まり、事前に予測することは不可能だった。[535-539]
    • GoogleBooks:人類の重要な財産であり知的価値の高い書籍を、インターネット上ですべて検索できるようになったらどんなに素晴らしいことか、と考えたことがプロジェクトの始まりだった。図書館から借りた本をスキャンするのは法律で認められているフェアユース(公正使用)の範囲内だとGoogleは確信していたが、法律の文言を厳格に解釈するとそうとは言い切れず(大半の法律家は著作権の侵害に当たると考えた)、議会図書館、大学図書館はいずれも大半が著作権上の問題がないという確信をもてなかったため、積極的には動かず最低限の範囲でのみ(著作権切れを確認できたもののみ)資料を提供した。しかし、出版社と著者たちは、弱者である自分たちを大企業であるGoogleが搾取しようとしているのだと訴え、裁判を起こした。和解案として、Googleは書籍をデジタル化し、インターネット上で本の一節を無料で公開できるだけでなく、絶版書籍のデジタル版を販売する独占権を手にするというものが出され、一部にはGoogleのプロジェクトには意義があると考える人もいたが、InternetArchiveのブリュースター・ケール氏は、この和解案によってGoogleは情報の独占主義者と化し、書籍へのアクセスを容易にするための活動を押しつぶそうとしていると非難した。Googleにしてみれば、Googleは完全に善意で行動しているのだし、和解案に反対している企業は絶版本のためになにひとつしていないし、Googleがこのように強烈な怒りを向けられるというのはプロジェクトの意義が正当に認識されていないためであり、これは全人類に損失をもたらす悲喜劇と呼ぶ他内ものだった。裁判所は、たとえ善意に基づく行動だとしても和解案は反トラスト法に違反していると結論づけた。なお、高品質な画像をスキャンすることは難しく、ロボット工学の現状では、機械が本を破らずにページを繰ることは不可能だとわかったため、人海戦術に出た(Googleらしくはないが)。提供しているものには指が映り込んでいるものやページを繰っている途中の画像等が含まれている)。[556-582]
  • 組織経営、収益構造
    • Googleは創設当初から徹底的な節約主義だった。だから故障前提のシステム設計が生まれた。エンジニアと優秀な人材確保以外のための出費は極度に嫌がった。コスト削減の必要がまったくない時でも、社員を無駄遣い探しに参加させて、結果をウェブ上に設けたツールを通じて報告させた。不要な人材についてはスパムの削除と同じくらい機械的かつ迅速に手続きが行われた。[056,072,196,199,232-233,411-413]
    • Googleという会社の経営は、大方、ペイジとブリンの即興。数学的ジョークが大好きなので、製品レビュー会議ではプロダクトチーム側が数字に関わるおもちゃをエサにして意識を反らすこともあった。[362-373]
    • Googleの収益は、自社の製品やサービスそのものではなく、それを利用するユーザーが見る広告によるもの。ユーザーがオンラインサービスを快適に使えるようにする(不愉快な障害を取り除く)ことで、ユーザーはGoogleの製品を使うと考えている。[364-368]
    • 広告商品は、Googleの大胆な新機軸が失敗しても大怪我をしないように保証する安全ネットとなったため、長期的な価値の創造のためには短期的収益を無視することもあった。[181,224]
    • Googleは、スピード、スケージュ、機会費用の最少化という基本原則に則って、膨大なトラフィックを見込めるコンテンツを持つサービスを、Googleの巨大インフラでサポートするプラットフォームから配信する。その好機を競合他社に取られないよう、買収の価値があるという証明の準備を進める。そのサービスの目標が、ユーザー体験の民主化であれば、それはGoogleの思想と共鳴する。[395-398]
    • 透明性の確保はとても大切なこと。四半期ごとに何を達成したいか1ページか2ページで表現できる内容でみんなに伝える。[253]
    • 大規模で体系的なサービスを再現可能な手法で提供できるようにするため、各種会議や運営委員会、全社員を対象にしたピアレビューといった社内の官僚機構の構築に多大な労力を費やした。(254)
    • 労働集約型プロセスは、Googleらしいスケーラビリティ(拡張性)の考えと相容れないものだった。(145)
    • ペイジとブリンは、企業はインターネットのように管理されるべきだと考えており、水玉模様に覆われた巨大なシーツのような形の組織図をイメージしていた。水玉は小さなチームで、平らな組織の構築を可能で、組織が大きくなっても構造自体が変化する必要はないはずだった。しかし、それは実現不可能であることが、早い段階から明らかになり、マネジャー(管理職)の必要性も見えていた。それでも、社内で高く評価されるのはあくまでもエンジニアであり、2人はプロダクトマネジャーになれるエンジニアを探した。プロダクトマネジャーは、数字(データ、情報)によってのみ、エンジニアと同じ土俵に立つことができた。YouTube買収時には、Googleは新しいサービスや製品の承認のためには莫大な時間を費やしてプレゼン資料を作る必要があったが、YouTubeは真逆で、自分が正しいと感じたことをやるだけでよかった。これが、上場企業と新興企業の違いだった。そこでYouTubeのエンジニアチームの統合はせず(トップダウン的なアプローチに組み込まず)、Googleの専門知識や資源を提供することにした。著作権侵害についてはGoogleの弁護士チームが対応し、コンテンツのオーナーが違法動画を速やかに削除できるシステムも開発した。こうしてGoogleYouTubeは大成功した。[242-248,400-403]
    • APMプログラムはエンジニアリングを重視しつつ、チームアプローチを維持するという一挙両得を可能にした。(…)Googleは、その雇用方針や経営手法によって、「オーガニゼーション・マン」とは対局にある「考える自由をもつ組織人」をつくり出したと言えるかもしれない。(249)
    • (株式公開後のこと)Google統計学者ボー・カウギルは、「予測市場」に基づいて社員の行動を調査した結果、「毎日の株価の動きが社員の気分、努力レベル、および意思決定に影響する」、つまり富むことで保守化することを発見した。[239]
    • 70・20・10:70%は検索か広告のどちらかの部門に、20%はアプリケーションのような重要な製品の開発に、そして残りの10%はそれ以外の何でもありのプロジェクトに配属された。(250)
    • 目標によるマネジエント:物事の優先順位を明確にすることができる。自分が何をやりたいかではなくて、作業をセグメント化し、どんな結果をいつまでに出せるか、時期を決めて定量化するという手法。Googleでは、OKRを達成できないことより、安全策を取って目標を大幅に上回る成果を上げることの方が悪いとされた。チャレンジ精神に欠け、能力以下の仕事しかしようとしない社員はGoogleには不要だからだ。[251-252]→→実際には、組織に集まる人間とトップの人間の性質によって、OKR法は機能しないことが大いにあり得るだろう。創業者たちが非常に強く、その意思決定も社内において強い力を持っていて、社内の決まりごとも柔軟に変更することが可能で、人を切ることも自由にできる企業の強みだろう。