人文学・社会科学の国際化について

「人文学・社会科学の国際化について 平成23年10月」独立行政法人 日本学術振興会/人文・社会科学の国際化に関する研究会

◎抜き書き的な要約

★第一章 東洋史

  • 東洋史学の独自性と言語問題
    • 東洋史学関係の学術雑誌で Web of Science などのデータベースにデータが収録されているものは極めて少なく、英語・漢語以外の言語でデータを得ることはほとんど不可能。
    • 対象とする各地域の史料言語や日本との歴史的関係などによって国際化の現状は様々であり、英語によって一元的に統合された国際学界の成立が望ましい事態として展望されているわけではない。
    • 共通の基準によって競争が行われる単一の「国際学界」が存在しない領域もある。例:東アジア史、内陸アジア史
    • 漢語の通用する研究圏と英語の通用する研究圏との交流はあるが、統合されてはおらず、研究水準においても、どちらが高いとは必ずしも言えない面もある。
  • 東洋史学の変遷
    • 戦前:欧米に対抗しつつアジアの支配を目指す日本の対大陸姿勢と総じて相即的なものだったと言える。
    • 戦後:日本の大陸政策に協力した姿勢への「アジア主義批判」と、アジア諸地域の人々への内在的な共感を欠いたまま欧米に「追いつき追い越す」ことを目指した「国際化」の在り方への「近代主義批判」とも言うべき二つの側面があった。
    • 現在:エドワード・サイードの著書『オリエンタリズム』など欧米発の欧米中心主義批判と、アジア諸地域における対抗的ナショナリズムとの緊張関係の狭間にある。
  • 東洋史学の性格
    • 日本の研究に対する国際的な評価は領域によって異なるが、現地語史料を用いた実証研究が高く評価され、二次文献を用いた大議論では国際的な評価は低い傾向がある。
    • まずは個別研究をしないと認められないという傾向もある。
    • 日本語を解さない研究者にとって日本の学界は「ブラックボックス」化している。日本国内で共有されている問題関心を系統的に紹介していく必要がある。
    • 他方、海外の議論の枠組みから相対的に自立しているという閉鎖的な状況は必ずしも負の側面だけではなく、日本を含む東アジアを広域的にとらえる視点を持つなどの国際的アピール力のある面も持つ。
  • 外国語での刊行
    • 東洋史学では、世界の研究者が掲載を目指す中心ジャーナルというものがほとんど存在しない。
    • 主要業績における使用言語は、研究対象領域によって大きく異なる。
    • 英語圏で被引用数の多い著作は専門家向けのものではないことが多く、日本の学術雑誌に掲載されるような細かい実証研究よりも、むしろ良質の啓蒙的著作が英語圏の広範な研究者に歓迎される傾向がある。
    • 日本語で書かれた業績に関して、外国人研究者はその重要性を口にしつつも、日本語を学ぶ気持ちが全く無いため、結果としてふさわしい評価を受けるに至っていない。
    • 漢語圏の学界では日本の研究に対する関心はかなり高く、かつ、日本の学界で評価されている専門的研究が漢語圏の学界でも注目される傾向がある。
    • 実証的な論文を書く場合、史料内容や歴史用語を一々欧米語に翻訳することは、書き手にとっても読み手にとっても隔靴掻痒の感を免れない。
    • 同時に、日本の中国史学朝鮮史学を国際化してゆく上で、英語能力の向上が重要な課題であることも、十分に認識されている。
    • 現地語の重要性・第一義性は言うまでもなく、日本の研究者の現地語能力は向上しているが、国際化のためには英語を用いることは避けられないことと認識しつつも英語での発信は相対的に不足しており、複数言語での発信をサポートする体制が必要。
    • 日本の研究レベルが高いことを海外の研究者に認識させることが第一。
    • 日本と外国の双方で、複数の相手国・地域の言語と学術に通じ、自己の専門研究だけでなく通訳や翻訳、学界動向の紹介や出版など、学界間のインターフェースになりうる人材が絶対的に不足している。
    • 各研究者がバラバラに努力するだけでは、内容的・文章的に低質な外国語著作を量産するだけに終わりかねない。日本の研究状況をトータルに踏まえた上で核となるような著作を選び、高品質の外国語に翻訳するセンターとしての機能を果たす機構が必要。
  • 海外との人的交流
    • 留学先は、自らの研究する対象地域が多く、欧米は少ない。
    • 海外から日本への留学について見ると、中国・韓国・台湾など漢字圏から、漢字圏地域の歴史を研究するために留学する学生が圧倒的な部分を占める。
    • 海外の大学等では外国で1〜2年客員教授として勤務したりすることが比較的自由なのに対し、日本の大学では、外国で長期間俸給を得る仕事に就くことが制度上困難な場合が大半であるため、海外の大学からのオファーがあっても断らざるを得ないケースが多い。
    • 単発的・イベント的な学術交流や有名無実な儀礼的関係に終わる大学間交流協定でなく、長期あるいは継続的な交流が重要。
    • 日本政府は留学生増加政策を推進しているが、奨学金が不十分で矛盾している。
    • 留学を奨励する仕組み作りが必要。規定修業年限内での修了率を競わせるような『大学評価』の仕組みは、人文系を危うくする。
  • 人文学の国際化に関わる諸外国の事例:韓国、中国、ともに国家プロジェクトとして国の支援が充実している。
  • 研究水準の維持
    • イベント的支出を削減して、真に研究の深化に寄与する学術振興を目指さなければならない。
    • 研究の質の維持向上のためには、それぞれの領域の実態に即したきめこまかい対応策が求められる。
    • 教育・行政事務の増加によって研究時間すらほとんど取れなくなるなど、かつての高水準の研究を支えてきた時間的条件がこの十数年来急速に失われつつある。
  • 東洋史学の国際化に向けて
    • 文化的多元性に配慮した、共通言語としての英語と研究対象地域の現地語とで対話できる場をつくり、交流できる人材を育成する。
    • 研究の背景をなす日本の学界状況について系統的な紹介をするような国際的な発信の中心となる機関をつくり、優れた著作の翻訳刊行を行う。
    • 自らの研究を行う研究者の他に、相手国の学界状況にも通暁した専門知識を持つ通訳・翻訳者や、交流実務の専門家を、学界全体として養成する。
    • 科学研究費補助金などの助成金の事務処理を合理化する。


★第二章 社会学

  • 国際化の現状
    • 社会学の国際的な専門誌への、日本人研究者の執筆になる論文の掲載数と掲載割合は極めて低い。
    • Web of Science や Google Scholar を使った検索論文数と被引用数の調査により、高い数値が現れることと国内で社会学者として高く評価されていることとの間には、極めて大きなギャップがあることが明らかになった。例え実質的な研究業績が非常に高い場合でも、国際的な専門誌に論文が掲載されることがなければ、低く評価されてしまう。
    • 日本社会学会は、日本の社会学が他の隣接する学問分野と比べても、また、他の東アジア諸国と比べても、国際化が大きく立ち後れているという認識を明確に持ち、危機感を抱いている。
  • 国際化が遅れている要因
    • 戦後すぐの日本社会学の「国際化」は、国際的な社会科学全般における「近代化問題」への関心に支えられていたが、1960年代から70年代にかけての日本社会学会には国際派と国内派の対立があり、国内派が優勢だった。
    • 70年代以降、とくに80年代に入ると日本はもはや「非西欧社会で唯一近代化を成し遂げた社会」ではなくなり「近代化」への問題関心が衰退した。
    • オイルショックなどで停滞に苦しむ欧米社会に対して、比較的順調に経済を回復していった日本の産業システムとしての「日本的経営」や「日本人論」への関心が高まったが、経済のグローバル化が進展する中で、日本社会が社会科学的関心の的になる度合いは減少していった。
    • 1970年代以降、社会学的問題関心や理論枠組みあるいは語彙そのものが全体として拡散していった。これは発展でもあったが、同時に学問としての共同性の衰退でもあった。
    • 結果として学術的な標準も研究の評価基準も曖昧でばらばらなものになり、「国際的に評価される」ことの意義そのものが薄くなった。
    • 社会学は経済学や心理学とは違って、業績評価の重要部分が「専門誌の論文」ではなく「著書」それも「単著」の存在に置かれており、専門誌とそこに掲載される論文が、社会学における研究の革新的な向上の媒体になっていない。
  • 国際化とは何か、国際化を目指すべきか、目指すとすればどのような国際化か
    • 標準とは異なる生き方や社会の在り方は、オルターナティブとして正当に意義付けられなければならない。
    • 人文学や社会科学の多くの学問は、文化や社会の研究であり、その研究対象は固有の言語文化からなっている。英語が「研究の標準語」のようになりつつあるが、これは「市場の論理」によっているだけで、学問的な観点、研究上の観点から見て、英語がとくに優れた性能を持っているわけではない。もしも英語での研究が国際標準になるとすれば、これまでの学問的蓄積そのものが「ローカルなもの」へと価値を貶めることになる。
  国際化否定論
国際化は日本社会学の文化的伝統を否定する意味を持っており、それには同意できない。
  国際化慎重論
国際化がグローバリゼーションのように多元性の無視や抑圧を意味してしまうことは問題ではないか。
  個人主義的国際化論
国際化は個人レベルで努力すべきもの。「日本の社会学」というような集合的なものが存在するわけではない。
  国際化悲観論
国際化が望ましいがはたして国際化は可能なのか、どうしたら国際化が進展できるかその方策がわからない。


★第三章 法学

  • 法学にとっての国際化の視点
  アウトバウンド型の国際化
国内の素材を用いて対外的に発信。法制度を社会インフラとして輸出
    • 原語による外国法文献研究
    • 外国の学会、招待講演、国際機関専門家会議などへの参加が遅れている
  • 国際化のためのインフラ整備の必要性
    • 英米独仏などは、他国に自国言語を学ぶ人口が多く、自国法を自律的に研究していても国際的な接点が生まれやすいうえに、判決をそのままデータベース化すれば同時に対外発信にもなる。
    • 日本の場合、日本語の習得困難性や経済低迷の長期化等による日本法の魅力低下などのため、基本的には日本人研究者が自ら発信を担わざるを得ない状況にある。
    • 日本語の法伝統と法概念と文法構造の特異性により、他言語に翻訳すると概念間の齟齬が生じて正確な情報交換が成立しないことがある。
    • 法律の外国語訳のための技法が開発されておらず、翻訳は個人の研鑽と力量に頼っている。この点、全てのEU法規、欧州司法裁判所判決を全EU 加盟国の公用語に翻訳するための養成システムが確立されているEUとは根本的に状況が異なる。
  • 書誌データ収集と分析
    • 法学における国際発信をデータを用いて分析することは困難である。理由:法学には、世界の学界における位置付けがわかるようなジャーナルは存在せず、ベースになる統一フォーマットによる統計資料も存在しないため。
    • Web of Science と Google Scholar 、Zeitschrift für Japanisches Recht (独日法律家協会)の書誌情報、主要大学のホームページ掲載の資料、Karlsruher Juristische Bibliographie によって調査を行った。
    • ドイツのように、学問上歴史的な繋がりのある分野では、ドイツ語を用いた一定数の発信がコンスタントに行われている。概念の共通性が言葉の面のハードルを低めているものと推測できる。
    • 英語による発信は、国際関係法、基礎法、ビジネス法の分野に多く見られ、法律英語が、文化的コミュニケーションの手段であると同時にビジネス言語であるという性格を持つことによるものと思われる。
    • 一つの言語に基づく資料のみから傾向を判断できるものではないといえる。
  • ヒアリング結果
    • 法科大学院では国内法を中心とする教育に注力することが求められるなど、内向き志向を助長・固定するようなシステムとなっており、学生にとっては外国法・外国語を学ぶインセンティブがあまり働かない。教員にとっては、カリキュラム上の要請から学期途中の海外出張等がしにくくなっており、対外的発信をするためには従来以上の労力をかける必要が生じている。
    • 法律学は国際機関諸委員会のメンバー、ラポルトゥール、議長等としての任務、国際協定策定への参画等による対外発信が可能だが、大幅に学外での時間を必要とするため法科大学院等の教育現場との調整が難しくなりつつある。
    • 日本の法学会として国際的に定評ある出版媒体を育ててこなかったことから、業績比較において不利に働く可能性がある。プレスティージの高い雑誌は存在するが、の著名雑誌等に掲載された成果と、たとえば欧文文献に大幅に依拠した日本語論文を勤務先の紀要において公表した成果の比較をどうするかなどは、今後検討すべき論点である。
  • アンケート調査の結果
    • 日本の法学研究の国際的地位については、各国の制定法の研究は研究対象が異なると言えるため単純比較はできないとのコメントがあった。
    • 日本の実定法学に関しては国際化はあり得ない、国際交流しても国内活動に比べて評価が低い、法学では日本人はそもそも国際社会で勝負する気持ちが無い、といったコメントも。
    • 外国の研究者から日本人研究者の研究が評価されない理由として、発信不足、国際的なフォーラムにおけるプレゼンス欠如、予算面・時間面の制限、インセンティブの欠如、研究レベルの低さ、法科大学院発足に伴う教育偏重・研究軽視の環境、語学力、日本法に対する興味の欠如などが挙げられた。
    • 国際化を進めるための対応については、海外発信に対する資金援助、翻訳者の養成・研究補助者の雇用、十分な研究資金と研究時間の提供などが挙げられた。
    • ほかに、国内の学問の水準を向上させることが必要だが、国内の学界には適切な選別機能(先導機能)が無いし文部科学省日本学術振興会が代わりにこの機能を果すことももちろん不可能。放っておいても優秀な研究、優秀な研究者は一定数出てくる。彼らが英語論文を書きやすくする環境・制度は必要だが、優秀な研究者の事務負担を増やし、疲弊させるだけの制度変更ありきの形から入る議論は避けていただきたい。というもっともなコメントが。
    • 留学生受け入れ促進については、日本に通じた研究者の養成とセットで考える必要がある、十分な支援が必要、優れた外国人研究者が日本にいて、外国の事情を伝えるとともに外国向けの情報発信をしてくれることも有効な方策の一つ、とのコメントが。
    • 国際化推進の試みとして効果を挙げたと考えられる例として、有能な翻訳者・通訳者の確保、海外法整備支援、法務省の法令外国語訳のホームページ開設、検索機能が充実したサイトでの翻訳法令の公開、各教員のそれぞれの個人的な海外人脈のネットワーク化が挙げられた。
    • 使用言語については、英語化で構わない、言語の多元性を強調する必要は無い、英語はあくまでコミュニケーションのためのツールであって日本法の真実を伝えることは英語ではできない、「英語化」だけでは失われるものが大きすぎる、国際化は必ずしも重要ではない、各国言語から離れて法は存在し得ない、英語+他言語がベスト、といったコメントがあった。
    • 日本の独自性と国際化については、日本に特徴的な問題について深く研究するのが先決、海外にアピールする必要は全く無い、英語で発信していけば良い、あまり独自性が見られない、欧州言語しか使えない人々には欧州言語を用いて説明せざるを得ない、などのコメントがあった。
    • 研究者の時間的劣化の問題については、研究補助者の拡充と補助金の使い方の規制緩和が必要、提出書類の大幅な簡素化が必要、ロースクール制度の軽量化が必要、法科大学院制度の欠陥を抜本的に改善する必要がある、などのコメントがあった。
    • 一貫して「国際化は必要ない」というコメントもあった。
  • 総括と今後の方向性
    • 言語に由来する法の個性は、常に国際化になじむものとは言えず、多様性を尊重し、全ての法分野での国際化は想定すべきでない。国際化を進めるにあたっては、何のための国際化であるのか(バイラテラルなものか、マルチ志向か等)を明確にするとともに、分野を絞り込むことが必要。
    • 日本の法学の国際的な位置付けは欧米より劣位にあり、外国法への関心は高いが研究スタイルは受動的で、外国からの関心・評価はあまり高くない。しかしビジネス法などでは日本法への関心は一定程度あり、また個人レベルで高い国際的プレゼンスを保持している研究者がいる。
    • 法科大学院の制度的な制約が法学研究者の研究能力に大きい負荷としてかかっている。
    • 学術的主張を対外的にもっと発表するほか、国際司法裁判所、国連人権委員会WTO 紛争解決上級委員会などの国際機関等において活動する人材を輩出する必要がある。
    • 研究者個人の研究レベル及び発信力の強化、国際的ネットワークの構築・維持・強化が必要。
    • 外国語の堪能な助手の雇用費用、英語翻訳費用などの助成が有効と考えられる。


★第四章 政治学

  • 戦後の日本政治学における研究成果の国際発信
    • 日本の政治学者は明らかに国内志向的で、個々の政治学者から見ると国際化(英語による論文執筆等)へのインセンティブは極めて低いようである。
    • 基本的に政治学の国際コミュニティでは英語が不可欠であることには共通の理解があり、日本における各段階での英語教育の重要性が指摘された。
    • アメリカだけではなくヨーロッパの政治学との連携も重要であり、さらに東アジアとは特別の交流の可能性があるとの指摘もあった。
    • 大学院への留学を恒常化させる必要性への言及もあった。
  • Web of Science と Google Scholar のデータベースを使った国際発信調査
    • 現代政治学においてアメリカを舞台に活躍している一流外国人政治学者の発信と比べると日本人の研究者のヒットする件数は格段に低い。
    • 全体として見ると、実証的研究者よりも理論研究者の引用が多い。
    • Web of Science では、論文に関する執筆者・掲載ジャーナル等に情報が限定されており、1960年代の日本人の論文は絶無のよう。1980年代にほんの数人から始まり、90年代にやや増加する。
    • Google Scholar の被引用件数では、80年代以降にアメリカの大学で訓練を受けた比較的若い世代、日本政治の近代化を論じた戦後第一世代、アメリカの政治学雑誌への自発的投稿が始まったと言える現在60歳代後半以上70歳台前半までの世代、といったグループの件数が多く、国際発信の多少は世代と関係があるもよう。
    • 国際発信の内容や量は時代に影響され、国としての存在感が自然に国際発信のメカニズムをつくり出すように思われる。
    • 全体として見て国際発信型の日本人研究者には、アメリカの大学で教職を得た者、滞在期間の長い者が多い。
    • 発信件数の多い者の相当部分が選挙、世論調査などの統計的分析手法を取っている。
    • 日本人の論文で被引用件数が多いのは実証的なデータを用いた論文。
    • 地域研究や比較研究など資料やデータを不可欠とする分野では、論文重視の傾向に抗して、依然書物が最良の成果公表方法であると主張されている。論文型のグループでは、最先端の論文とは、雑誌論文ではなく、種々のワークショップ提出論文。
  • 政治学の国際化という点から見た問題点
    • 日本政治学では、国際発信の重要性についての認識が弱い。研究そのものが日本語で書かれていても国際レベルの評価を意識して書かれているかどうかが重要。
    • 日本の社会科学の諸分野内部での評価体系は、外国語における出版を十分に評価しない傾向があるため英語で発表するインセンティブがなく、外国語発信の推進の妨げとなりうる。しかし、現在30代の若手は、日本での評価基準を気にせず、英語圏の学者と政治学の解くべきテーマを共有しながら論文執筆を進め始めているようにも見える。
    • 世界各国の研究会に提出されるペーパーのフォーマットが、日本政治学における通常の論述のフォーマットと違うことが壁となる。
    • 英語という壁が圧倒的。
  • 英語発信の具体策
    • 英文は自分で書くべきだと主張するグループと日本語著作の英訳を支持するグループとがあった。
    • 優秀なネイティブチェッカーやコピーエディターによる校閲の支援体制の構築。
    • ヨーロッパがアメリカに対するオールタナティブになり得る。
    • 研究拠点が必要。政治学には研究拠点は無いが、グローバルCOEプログラムでは現代市民社会論(慶応義塾大学)、政治経済学(早稲田大学)が研究拠点として採択されている。
    • 他国や組織(ネットワーク)に参加する仕組みや機会を計画的に準備することが重要。
    • アメリカやヨーロッパのファッション、方法論、どういう人がレフリーをしているかについての情報にも無関心であってはならない。
    • 国際的な研究分野の意見交換会や非公式のネットワークによる研究会の場で、意見交換、情報交換をする。
    • ヨーロッパ人がが間に立って、アメリカ人の意見と日本人の意見を聞くという構図になると、アメリカ人の態度が途端に変わることがある。アメリカ人にヨーロッパコンプレックスがあるのかもしれないが、ともかくヨーロッパ人とアメリカ人と一つの場で会う時に、教えを請うんじゃなくて、論点を交換するという機会が生まれる可能性がある。
    • 東アジア圏域の諸国との提携も重要。東アジアの地理・歴史を共有しながら、同じ舞台で意見交換する。
  • 大学「行政」と研究時間
    • 良い研究者が行政に引っ張られて時間を取られる事態に対しては、米国のプロボーストのような役職を設け、研究という役割と、行政という役割の分業化を行う。
    • 教育目的の大学はともかく、リサーチ大学において、研究対象の調査(フィールド調査)の必要などがあれば、大学内のルールによって長期間の海外滞在を可能とすることは重要。
    • 若手が外国語習得もかねて外国に行くことが尐なくなった理由として、就職の成功が第一目的となり、国際的な研究への参画は、そのために不利とされるようになったという事情が指摘されている。
  • 日本のアドバンテージ(あるいはニッチ)
    • 欧米ではあまり見られない現象についての外からの問いかけに対して日本側から何らかの発信を。
    • 日本において情報豊富な分野で国際的に太刀打ちできるような研究テーマを選ぶ。


★第五章 経済学

  • 日本の経済学(者):国際化
    • 日本における経済学の国際化に関しては、いくつかの先行研究があり、いずれも一定の定量的な分析を行っている。
    • 経済現象自体が国際的なものであるためか、日本における経済学の国際化という問題への意識は戦前の1920年代からすでに高く、成果を国際的に発信しようとする意欲もみられた。
    • リーマン・ショックアジア通貨危機のような世界的金融現象や地球温暖化問題のようないわゆるグローバル・イシュウが増加し、それに対応して、学術的なレベルでの国際的な会合も増加している。
    • 日本人経済学者の国際的活躍は1950年代に本格化し、1960年代に大幅に増加、その90%以上が英語によって書かれた論文で、当時の英語論文が欧文論文全体に占める国際的な比率が50%であったことに比べて日本人の間では英語論文が圧倒的に優位であったことがわかる。内容としては、経済理論、国際経済が多かった。
    • 国際化は戦後一貫して進展してきたと言えるが、その在り方については国際化している研究領域が理論・計量分野に偏っていることや、研究方法が普遍的な方法の抽象理論・応用理論研究が多く、現実に応用した実証研究が少ないことが指摘されている。このことは、American Economic Review と JEL を使った調査によっても確認され、その傾向は国際的に見ても強力なものであることがわかった。
    • 日本人経済学者は国際的な発信において、こうした評価が難しいと思われる分野が相対的に弱い。
    • 国際的に活躍している日本人経済学者の大半がアメリカ等の英語圏での大学院で教育を受けており、優秀な研究者を日本の大学院で教育していない。
    • アメリカのデータベースの対象外である日本の大学の紀要論文について情報化がなされておらず、またそれらがレフェリー制度に基づかずに水準の保証がないため、それらに関する数量的分析の信頼性が高くならないという問題があり、教育や研究のシステムの国際化はなされていないという指摘もある。
  • アメリカの経済学教育
    • AEAが職業としての経済学者の水準の向上と(一種の均質化も伴う)一定水準の確保を志向しつつ、経済学の大学院教育について調査を実施しており、さまざまな提案等を行ってきた。
    • 1950年代から1960年代に経済学の数理化が本格化した。
    • 1970年代〜1980年代、スタグフレーションの発生によってアメリカにおける経済学者の評判が低下し始め、社会からの批判や不満を受けてAEA 内に委員会 the Commission on Graduate Education in Economics が設置され、大学院教育を調査することになった。結局、数学等の技能を一定水準に維持する努力や各大学院の得意分野を認識して差別化を図るといった提言が出たが、時期を同じくして、言語表現能力よりも数量的分析能力、制度的知識よりも理論的知識を重視するようになった。
  • ヨーロッパの経済学と大学院教育
    1. 地元や自国の政策に関与することを重視する(アメリカでは学術誌での論文発表を重視する)。
    2. テーマは実践的課題に関するもので一貫性がある(アメリカでは業界内で定義された抽象的な問題に注目が集まり、流行が幅を利かせる)。
    3. 学部教育が重視されている(アメリカでは大学院教育に注力。研究者市場がとても大きく政府介入の度合が非常に小さい)。
    4. 試験通過成績、特定の学派への所属、階層的な学術的地位、助手の数や所属機関の大きさなど、利用可能な学術資源の寡多、学術的受賞歴、弟子の地位によっても評価される(アメリカでは公表論文数と引用件数(のみ?)が重視される)。
    5. あまり移動せず、学術的な活動が待遇に直結するという関係にないため、しばしば政治的キャリアに進出することも意図して、地元や自国の経済問題や制度に精通しようとする(アメリカでは若手研究者は北米大陸全体の採用市場で競争するため、在住している都市や州に特有の制度の知識の習得に時間や労力を費やすことは論文の公表が遅くなるため、job マーケットにおいてより有利な採用を危うくすることになりかねない)。
    6. 個人的に関心のある研究を追求し、高度に独創的な研究であることもたまにある(アメリカでは学界動向を気にして研究テーマの変更や手法の習得に意欲的で、時に大勢順応的とも揶揄される)。
    7. 政治的キャリアを重視し、将来的に自分が大臣等になった際にはその部下の官僚となるはずの学部生たちの教育に注力する(アメリカでは研究者としてのキャリアを重視し、研究とも関連してくる大学院教育に熱心)。
    8. 国際志向とはアメリカ志向を意味し、国際=アメリカ志向のヨーロッパ人経済学者は、形式的理論的な問題に取り組み、制度を軽視する傾向がある(アメリカでは研究成果を公表して名をあげて、ヨーロッパに戻ってきてからは政治的キャリアに精を出すヨーロッパ人研究者がいる)。
    9. ヨーロッパ内の研究者市場の統合もあって、ヨーロッパ経済学界の国際化=アメリカ化傾向は避けられそうにない。
  • 経済学の国際化のまとめ
    • 経済学という学問はもともと国際化志向を持っていると言えそうだが、日本の経済学者に広くいきわたった共通の傾向というほどではなく、日本の経済成長とパラレルな形で急速に国際化が進展していった。
    • 国際的学術雑誌に掲載される論文数や引用数は、ほぼ一貫して日本人経済学(者)の国際化は進展してきたと言えるし、世界の有力大学においていわゆるtenure ポストを得ている人物を一定数あげることができることからも、日本の経済学(者)の国際化が一定の水準に到達していると言える。
    • 国際的に活躍している日本人経済学者の大半は、日本ではなく、海外特に北米で大学院教育を受けた者が多い。これは、ここに国際化の近道があるとも言えるが、同時に日本の大学院教育に問題提起しているとも言える。