フッサールとハイデガー

  • フッサール:構成的主観は「超越論的トランスツェンデンタール」⇒世界に属さない(=超越論的現象学、構成現象学
  • ハイデガー:構成的主観が世界内部的インナーヴェルトリッヒな存在者ではないことには同意するが、ではその超越論的なものの座をなすものは、存在者ではないかといったら、そうではない。そこで問題。「世界」がそこで構成されるような存在者の在り方はいかなるものか。
現象学の方法的原則を徹底するなら、構成的主観の存在をも、それに固有な自己構成の作業(ハイデガーにしたがえば、これが「実存の遂行」)に即して問うべき。「構成するものの在り方についての問いは避けられるべきではない」
⇒『存在と時間』の中心問題(現存在ダーザインの基礎的存在論)。存在そのものの意味を探求する「現象学存在論die phänomenologische Ontologie」。
      • 人間だけが自己以外の存在者と関わりうるだけでなく、自己自身の存在とも関わりあいながら、存在とは何かと問いうる特権的な存在者。「存在Sein」の意味が自らを顕わにする「場面Da」⇒ハイデガーの「現存在」Dasein=人間存在
  • 存在論の実現に絡み合っているように思える二つの思考動機
    1. 近代の理性主義を真っ向から否定しようとしたキルケゴールに由来するいわゆる実存的な思考動機(非本来的実存から本来的実存へという実存的決断)
    2. 理性の復権を目指すフッサール現象学的動機(自然的態度から現象学的態度へという現象学的還元)

現象学的還元の自己還帰性

還元が自然的動機によって促されるなら、その超越論的態度に未反省な生なところが残る→究極的に根拠づけられない→還元の出発状況たる自然的態度の内には、なんら還元の動機はない、という奇妙な事態

ハイデガー現象学
実存についての現象学ではなく、実存からする、ないし実存としての現象学
    • フッサールも、後期の生活世界の現象学においては構成的主観の考え方は放棄し、作用志向性の底に、構成的主観の関与なしにすでに「作動しつつある志向性」を考える。
⇒自らが非反省的なものにいかに深く根をおろしているかを知る
  • 時間性Zeitlichkeit
    • 「被投的企投」といった統一的な構造連関をもつ現存在の存在を可能にしている。
    • 存在理解を規定。
    • いかなる哲学的思索も、自身が投げ込まれているその事実的状況から出発するしかない。
⇒自己了解の本来性、非本来性を決定する基準として、ハイデガーの存在的オンティッシュな人生の理想、キルケゴール的な人間観が入り込んでくる
  • 1930年代