フッサールとハイデガー
- フッサール:構成的主観は「超越論的トランスツェンデンタール」⇒世界に属さない(=超越論的現象学、構成現象学)
- ハイデガー:構成的主観が世界内部的インナーヴェルトリッヒな存在者ではないことには同意するが、ではその超越論的なものの座をなすものは、存在者ではないかといったら、そうではない。そこで問題。「世界」がそこで構成されるような存在者の在り方はいかなるものか。
- ⇒現象学の方法的原則を徹底するなら、構成的主観の存在をも、それに固有な自己構成の作業(ハイデガーにしたがえば、これが「実存の遂行」)に即して問うべき。「構成するものの在り方についての問いは避けられるべきではない」
- ⇒『存在と時間』の中心問題(現存在ダーザインの基礎的存在論)。存在そのものの意味を探求する「現象学的存在論die phänomenologische Ontologie」。
- 存在論の実現に絡み合っているように思える二つの思考動機
*現象学的還元の自己還帰性
還元が自然的動機によって促されるなら、その超越論的態度に未反省な生なところが残る→究極的に根拠づけられない→還元の出発状況たる自然的態度の内には、なんら還元の動機はない、という奇妙な事態
- ⇒自らが非反省的なものにいかに深く根をおろしているかを知る
- 時間性Zeitlichkeit
- 「被投的企投」といった統一的な構造連関をもつ現存在の存在を可能にしている。
- 存在理解を規定。
- いかなる哲学的思索も、自身が投げ込まれているその事実的状況から出発するしかない。